「星は昴」

私たちの体を構成する物質は、地球が生み出したものではないといいます。
私たちの体を形作っている元素は、かつてどこかの星が作り出したものです。
その星は長い一生を終えた後、宇宙へと元素を放ちました。そして、その元素は広大な宇宙空間を漂い、長い年月を経て今ここに私たちの体となっています。
地球に生きる私たちは皆、星屑をルーツに持つのです。1)

古代より人々は星を見上げ、思索を巡らせてきました。
時には、はるかな光に願いを託し、自らの心をゆだねることもあります。
本記事では、世界中で吉祥の星とされるプレアデス星団、通称「昴(すばる)」をご紹介し、人と星との関係について考えてみたいと思います。
プレアデス星団・昴
プレアデス星団(Pleiades)または昴(Subaru)は、おうし座の方向に位置する散開星団です。
秋から冬にかけて観測でき、オリオン座のベルトのやや西側に青白くぼんやりと光るエリアがあれば、それが昴です。

昴は、ひとつの星が輝いているのではなく、若い星々が集まった散開星団です。その年齢は約6000万~1億歳とされ、天文学的には「生まれて間もない」と言える若い星たちです。
この星団では星の形成が現在も続いていると考えられています。
地球から昴までの距離は約440光年です。
もし新幹線「のぞみ」(時速約300km)で向かった場合、そこへ行くまで約1兆5,800億年かかる計算です。
でも、宇宙の年齢自体が約138億年ですから、新幹線で昴を目指すのは現実的ではありませんね。
それでも、この星団は地球と同じ「天の川銀河」の中に存在しています。宇宙規模で見れば、昴は「ご近所さん」と言える距離にあります。

夜空で見える昴は、若い星々を包む青い反射星雲に覆われています。個々の星が目立つわけではありませんが、星々がまとまって放つ青白い輝きは、冬の夜空の中でひときわ目を引きます。
その姿は静かでありながらも魅力的で、多くの人々の心を惹きつけています。
昴の神話:空でも人気者
プレアデス(昴)は、ギリシャ神話に由来しています。プレアデスはアトラスとプレイオネの7人の娘たちで、その美しさゆえにゼウスによって天に星座として上げられたとされています。
また、そばに位置するオリオンは、美しい彼女たちを今も追いかけているという伝説があり、この神話が星団の魅力を物語っています。
昴とアルデバラン:兄弟は他にも
昴の東隣には赤い星アルデバランが輝いています。
アルデバランは「後を追うもの」という意味で、プレアデス星団を追うように天に昇ることからその名がつけられました。
このアルデバランは、雁が飛ぶようなV字形をしたヒアデス星団の中に見えます。ヒアデス星団は昴と兄弟とされることがあります。
日本では、浦島太郎を竜宮城で迎え入れた童子が昴(スバル)と畢(ひつ・ヒアデス)であるという話もあり、これはこの二つの星団を兄弟のように見た例です。
昴という名前の由来
「昴(すばる)」という名前は古くから使われてきた日本語の大和言葉です。「ひとつにまとまる」という意味を持ち、漢字では「統はる・統まる」と表記されます。
この言葉には「団結」や「統制」といった意味が込められています。
また、「すめらぎ」(天皇家)も同じ語源を持ち、国をまとめて治めるお方を指す言葉です。
昴の観測と日本文化での位置づけ
昴は肉眼では6~7個の星が確認できますが、詳しく観測すると百数十個以上の星が集まっていることがわかります。
そのまとまりのある姿から、多くの名前で親しまれてきました。「六連星(むつらぼし)」「群れ星」「草星」などがその例です。
さらに、「寒昴(かんすばる)」のような美しい言葉や、日本で古代から神聖視される「美しい玉(五百津之美須麻流之珠・いおつの みすまるの たま)」2)にもたとえられるなど、特別な存在として大切にされてきました。
現代の昴
現代でも「昴」の名前は幅広く使われています。例えば、スバル(SUBARU)という名前の車や、ハワイのマウナケア山にある「すばる望遠鏡」がその代表例です。
これらは、昴が単なる星団ではなく、美しく特別な存在として認識されていることを表しています。

昴という漢字
「昴」という漢字は中国から伝わったものです。
この字は、方角を示す「卯(う)」と太陽を表す「日」を組み合わせて作られました。
昴は、十二支の「卯」の方角(東)に位置する星座として認識されており、中国では「昴宿(ぼうしゅく)」と呼ばれていました。
「昴宿」は、古代中国の天文学で天球を28のエリアに分けた「二十八宿」の一つです。
二十八宿は、星座をもとにして方角や暦を決める際に用いられ、東アジアの文化や占星術に大きな影響を与えました。
吉祥の星・昴
昴は世界中で幸運を運ぶ吉祥の星とされてきました。
この理由について考えてみましょう。
出現と消滅
昴が日本で見られるのは、秋から冬にかけての季節です。
東の空に昇り始め、夜遅くまでその輝きを楽しむことができます。しかし、夏や春になると太陽の光に隠れて見えなくなります。
この現れたり消えたりするタイミングは、農作物の収穫や種まき、漁業シーズンの把握など、生活の区切りを知る目安として最適でした。
天候に左右される農業や漁業では、正確な暦を読むことが非常に重要です。昴は、その規則正しい出現と消失によって、自然の「暦」として人々に重宝されました。
マヤ文明では、プレアデス星団の動きが暦や宗教的儀式の指標とされましたし、 ギリシャの詩人ヘシオドスの叙事詩3)には、プレアデス星団の出現が農作業の開始時期を示すという記述があります。
ニュージーランドのマオリ族は昴を「マタリキ(神の目)」と呼び、この星団が夜明け前に昇る時期に、新しい一年の豊穣を祈る祭りを行います。
この「マタリキの祭り」は現在もニュージーランドで公式の祝日として祝われています。
昴が出現し、また消失することを規則正しく繰り返す性質は、人々にとって自然の新たな春の訪れを告げる象徴でした。
この星団に従うことは暦を知る事になり、吉兆として信じられてきたのです。
軌道
昴は東の空に見え始め、その後、天頂に向かって昇っていきます。
地平線近くではなく、夜空の高い位置に輝くため、冬の長い夜には遅い時間までその姿をはっきりと観測することができます。
この特徴は、荒野で道を探す人々にとって非常にありがたいものでした。
暗闇の中で周囲が見えなくなっても、夜空を見上げれば、昴が方向を示してくれるのです。
また、海上を航海する人々にとっても、昴は重要な道しるべでした。
夜間、広がる海原の中で目印となるものが限られる中、天頂高く輝く昴は、舵を切る方向を示し、安全な航路を導く星でした。

さらに、昴の位置や出現時期は、航海に適した季節や嵐の多い危険な時期を知る手助けともなりました。
もちろん、昴だけが頼りだったわけではありません。
アルデバラン、オリオンのベルト、一番明るいシリウス、常に北を指す北極星などは、みな欠かせない存在です。
冬の夜空を彩るこれらの星々と組み合わせて、昴は「空の地図」の一部として活躍しました。

他の星との比較・不吉な星
星には「吉祥の星」とされるものと、「不吉な星」とされるものがあります。昴がなぜ吉祥の星とされたのかを理解するために、比較として不吉とされる星の例を見てみましょう。
たとえば、火星は赤い色が血を連想させたため、不安を呼び起こす星とされました。不規則な動きも、人々に混乱を与える要因となりました。
土星はそのゆっくりとした動きが老いや停滞を連想させ、なんと子どもをのみ込むという恐ろしい神話まであります。
シリウスは、夏の最も暑い時期に太陽とともに昇ることから、猛暑や干ばつを象徴する星とされました。この時期には疫病が流行することも多く、シリウスがその原因とみなされたこともありました。
ペルセウス座のアルゴルは変光星で、そのくるくると変わる光が不気味に映り、人々の不安をかき立てました。
この星は、ペルセウスが持つメドゥーサの首にあたります。
メドゥーサといえば見たものを石に変える怪物ですから、アルゴルの光はよほど奇妙に見えたのかもしれません。
彗星は突然現れる性質から、天の異変と見なされました。
その姿は人々を驚かせ、何か不吉なことが起こる前触れだと恐れられることが多かったのです。
ただし、これらの星が常に不吉とされたわけではありません。
たとえば、火星は勇気や決断力の象徴とされましたし、土星は賢明な豊穣の星と見なされることもあります。吉祥のシンボルとしても活躍しているのです。
彗星は新しい時代の訪れを告げる神の使いとも解釈されました。

アルゴルは逆境を乗り越える力を象徴する星とされました。
そういえば、英雄ペルセウスは切りおとしたメドゥーサの首のおかげで、旅の困難を乗り越えましたね。
シリウスもまた、エジプトやギリシャ、中国などで豊穣や繁栄を表す大吉星として尊ばれました。全天で最も明るい星であり、昴と同様に航海をする人々を導く存在でもありました。
他の星との比較・吉祥の星たち

昴以外の吉祥の星にも注目してみましょう。
まず、言うまでもなく、太陽です。
太陽は私たちの生命にとって欠かせない存在であり、多くの古代文明では特別な地位を与えられ、時に宇宙の中心的存在として崇拝されていました。
ほぼ世界中で最高の吉祥星とされ、日本でも天照大神(あまてらす おおみかみ)として崇められています。
木星は幸運の星とされています。
ジュピターという名前で知られ、ギリシャ神話でも主神ゼウスと結びつけられます。
天文学的にも興味深く、木星の巨大な重力が太陽系内の小天体を自らの方へ引き寄せ、地球を含む他の惑星を隕石の衝突から守ってくれているのです。
他にも、金星と月は吉祥の天体として知られています。
金星は宵の明星や明けの明星として、明るく輝く姿が希望の象徴とされました。
月はその満ち欠けによって時間の流れや季節の移り変わりを知らせ、人々の生活に直接影響を与える存在です。月は潮の満ち引きを左右し、地球上の自然現象にも深く関わっています。
昴の特徴
不吉とされる星と比べると、昴は青く清浄な光を放ち、時を告げるのに最適なタイミングで規則正しく動くことが分かります。
また、その光が天高く昇り長い時間観測できるため、道しるべとしての条件にもぴったり当てはまります。
一方で上述したとおり、昴以外にも吉祥の印とされる星は存在します。
たとえば、太陽系に属し、地球や他の惑星に直接的な影響を与える星々や、シリウスのように全天で最も明るい※1星などです。
それにもかかわらず、なぜ昴がこれらの星々と並んで特別視されているのでしょうか。
それは、昴の「際立つ特徴」にあります。
たとえどの星がどれほど明るく輝いていても、太陽や月以外は、それが何の星であるかを確実に認識できるのは、それをよく知っている人だけです。
たとえば、シリウスが「全天一明るい星」と説明されても、宵の明星(金星)を見て「あれがシリウスなのだろうか?」と思う人もいるかもしれませんよね。※1
昴はその点で非常に特徴的です。
青白く優しい光を放つ複数の星がまとまっている姿は、広い範囲に広がり、夜空の中で目を引きます。その印象は単独でかがやく他の星と比べようがありません。
また、昴を探そうとする際、沈んだ太陽と反対側の東の空を見れば見つかり、あとは天高く昇る軌道を追えばよいのです。
四方八方をきょろきょろ探す必要もなければ、「あれだろうか、これだろうか」と迷うこともありません。
冬の寒い夜、ただ天を仰げば、そこに青白く輝く昴があるのです※2。
迷わせることがない星、間違えようのない星。それが昴です。
そのため、昴は道しるべとしても、自然界の印としても、まさに最高の存在と言えるでしょう。
星に馳せる思い:なぜ人は昴にひかれるのか

「星はすばる」4)
(星の中で一番いいというのなら、それは昴だわ)
この言葉は、「春はあけぼの」で始まる『枕草子』の中で、星について語られた箇所に登場します。
軽妙なタッチで「これがいい」「あれがいい」と進む『枕草子』の中で、清少納言は昴を「一番」と称しました。
これは、彼女自身の美意識や教養、あるいは星々に対する感性にもとづくものと考えられます。
平安時代、昴が人々にとってどのような象徴であったかについての記録は限られていますが、清少納言が昴を選んだ理由は、星団の見た目の美しさ、あるいはその名前に込められた響きや知識的な要素にあるかもしれません。
ここまで昴が古代から実用の面でいかに重宝され、吉祥の星とされてきたかについて述べました。
つぎにこの星団がもたらす独特の魅力について考えてみましょう。
天上に引きつける力
昴という星団は、単独で目立つ星ではありません。
むしろ、にじむような淡い光の中に、無数の星が宝石のように散りばめられた姿が特徴です。
その光は焦点がやや散らばった形で私たちの目に届きます。
この星を見つめるとき、人はただ光を受け取るだけでなく、星を「見つめ返し」、さらにその姿を数え、いくつあるか探そうとします。
この視線は、自然と心を向こうへと馳せさせる力を持っているのです。
昴の星々は百を超えますが、肉眼ではその全貌を捉えることはできません。
この答えのない観察は、私たちに「届かないもの」への痛みを感じさせ、その一方で現実から心を解放し、かなたの空に思いを馳せる喜び、心の切り替えをもたらします。
それに、冬の真夜中に昴を見上げる人々――それはそもそもどのような人々でしょうか。
ふわふわのベッドで夢を見ている人ではありません。
暖かな部屋で談笑している人でもありません。
寒空の下で天を仰ぐ人は、長い旅の途中にあり、現実的にも精神的にも道を探している人でしょう。
谷村新司さんの「昴」※3や中島みゆきさんの「地上の星」※4は、そのような冷たい風の中で迷いながらも道を探す心情を描いています。
それぞれ解釈は異なりますが、いずれも星や昴への思いを込めた歌であり、その世界観には共通するものがあります。
心を引きつける昴の輝き
今も昔も、最も寒く暗い夜に、天上から私たちを見つめ返すような青い星団。
明確な答えは出ないかもしれませんが、やがて来る新しい季節を静かに告げています。
もし太陽やシリウスのような輝きを持つ星であれば、見る人の心は簡単に定まるでしょう。
これらの星のはっきりした白い光には、与えたり示したりする力が感じられ、人はそこから強さを得たり、あるいはこれに悲しみをゆだねたりするかもしれません。
一方、昴の淡くおぼろげな光は夜空ににじみ、人の目と心に「探す」ように語りかけ、思いを遠くに引き上げる力を持っています。
ほの青くやわらかな姿で、厳しい冬の中、多くの人々の心を天高く導いているのです。
「星は昴」さいごに:統まる、そして散るという事

世界は、一つの事象から次の事象へと絶えず移ろいゆきます。
起こったものは消え、消えた後にまた新しい何かが始まります。
一つに集まるものは、やがて散りゆく運命を内包しています。
天上高く集まり、輝く星団に心を寄せた人も、やがて歩き出すために現実の地上へと戻らなければなりません。
しかし、そこからの一歩は、星を見上げる前の「孤独な旅」ではなくなります。
集まることが散る事を内包するように、散る事は共に集まっていたことを内包します。
あなたはこれまで、信じる道を行くのに、自分がずっと一人きりだと感じていたかもしれません。
けれど集まる星々を見上げ、そこから再び歩き出すことは、昴からの旅立ちになり、すべてを内在する「かけら」として出発することになるのです。
旅が無事に目的地へたどり着くかどうか、選んだ道が正しいかどうか、それはもう問題ではありません。
大切なのは、一歩を踏み出すことです。

寒空に昴を見上げて受け取ったもの――それは心に刺さるような小さな痛みかもしれません。それは、星がくれた希望のかけらです。
なぜ痛く、こんなにおぼろげなのだと感じますか?
それでいいのです。
それは星屑でできたあなたの心が、希望に共鳴しているのです。
資料と補足
1) 村山斉,『宇宙はなぜ美しいのか 究極の「宇宙の法則」を目指して』,幻冬舎,pp37-38,2021
2) 古事記,712
3) ヘシオドス,『労働と日々』, BC 700頃
4)清少納言,『枕草子』ものづくし
※1 太陽と月を除くと、全天で最も明るいのは金星。恒星の中ではシリウスが全天で最も明るい。
※2 北半球の場合。南半球ではプレアデス星団は春から夏に見える。
※3「昴 -すばる-」作詞/作曲,谷村新司,ポリスター,1980
※4 「地上の星」作詞/作曲,中島みゆき,ヤマハミュージックコミュニケーションズ,2000
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