お墓をどうする? 宗派を決めるときに知っておきたいこと

はじめに:お墓を考える時がきた!
自分のお墓について、考えたことはありますか?
まだ元気でも、いずれはこの問題に直面します。
例えば―
・実家のお墓は兄が継ぐと決まった
・親が墓じまいを考え始めた
・パートナーの宗教観が異なる
このような理由で、どこにお墓を持ち、どの宗派にするかを考えなくてはならない人は意外と多いのです。
しかし、慌てて決めると後々後悔することもあります。
この記事では、仏式のお墓の選び方と宗派の決め方について紹介します。
死後の選択肢は意外と多い

お墓や宗派を考える前に、まずは「死後の選択肢」をざっと確認しておきましょう。
亡くなった後の送り方は、「葬儀(式)」と「埋葬(葬)」をどうするかによって決まります。
例えば、仏式・キリスト教式・神道式・イスラム式などの宗教儀式と、火葬・土葬・樹木葬・散骨といった埋葬方法を自由に組み合わせることができます。
また、無宗教で葬儀をせず、直接火葬する「直葬」という方法もあります。
つまり、選択肢は思っている以上に多いのです。
(ただし、宗教によって禁じられている埋葬方法や、日本の法律で認められていない方法もあるため注意が必要です。)
とはいえ、日本では多くの人が仏教の形式で葬儀を行い、お墓も仏式で用意するのが一般的です。
もし、あなたが「仏教式で供養したい」「親と同じような形にしたい」と考えているなら、次に「仏式のお墓の選び方」を見ていきましょう。
お墓と宗派の決め方

仏式での葬儀や供養を考えているなら、もっとも自然な選択肢は「親と同じ宗派の寺院にお墓を持つこと」です。
まず、自分の実家がどの宗派なのかを確認しましょう。
仏教では先祖供養を重視するため、同じ宗派なら供養の形式が統一され、家族間の混乱が少ないというメリットがあります。
しかし、寺院墓地にお墓を持つ場合、檀家制度や費用の問題、アクセスのしやすさなど、いくつか考慮すべき点もあります。
もし、すぐに実家と同じ宗派の寺院が見つからない場合は、次のような選び方を検討してみましょう。
アクセスのよいお寺を探す
お墓を持つと、供養や管理のために定期的に通う必要があります。
もし、実家と同じ宗派の寺院が近くにない場合、親の宗派とは異なる寺院を選ぶことも現実的な選択肢になります。
「お墓を持ったけれど、遠すぎてなかなか行けない」
これでは管理が難しくなり、後々困ることになります。
解決策として考えられること
・ 近所のお寺が先祖代々の宗派と違う場合、まず親やパートナーに相談する
・ お墓や宗派は個人の自由だが、家族や菩提寺とのトラブルを避けるため、話し合いながら決める
「アクセスを優先するか、宗派を優先するか」は重要なポイントです。
費用から決める

寺院墓地は供養や法事をお寺に任せられる安心感がありますが、檀家料や寄付金が必要になることが多く、費用は高めです。
もし、費用を抑えたいなら、霊園という選択肢もあります。
霊園のメリット
・宗派を問わず利用できる
・管理費のみで済む場合が多い(檀家料なし)
・比較的安価で、自由度が高い
霊園のデメリット
・供養は自分で手配する必要がある(お坊さんの読経を依頼する場合は別料金)
お墓は購入費用だけでなく、維持・管理費もかかるので、長期的な負担を考えて選ぶことが大切です。
後継者の有無を考える

自分のお墓を管理してくれる後継者がいるかどうかも、重要なポイントです。
・後継者がいない場合 → 霊園や永代供養墓を検討する
・後継者がいる場合 → 継ぐ側の負担も考慮して決める
お寺の永代供養墓を利用すれば、後継者がいなくても宗派を守りながら供養してもらえます。
宗派のちがいで困る事は?

実際に、親と異なる宗派にして困ることはあるのでしょうか?
結論を言うと、基本的に大きな問題はありませんが、注意点はあります。
考えられる困りごと
・親戚や菩提寺から「なぜ変えたの?」と言われることがある
・親の法事をどこでやるか迷う(実家のお寺 or 新しいお寺?)
・供養や法要の形式が異なるため、戸惑うことがある
しかし、どの宗派も仏教であることに変わりはないため、必要以上に心配する必要はないでしょう。
まとめ:お墓と宗派を決める時に知っておきたいこと

基本的には親と同じ宗派を選ぶのが無難ですが、 通いやすさ・費用・後継者の有無も考慮する必要があります。
また、宗派を変える場合には、家族とよく相談する事をお勧めします。
どのような形にするにせよ、元気なうちに考えておくことが大切です。
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