諸聖人の日
諸聖人の日「All Saints’ Day」(オール・セインツ・デイ)をご存じですか?
これは11月1日に行われるキリスト教のたいせつなお祭りで「All Hallows’ Day」(オール・ハロウズ・デイ)とも呼ばれます。
実はハロウィンの名前の由来は、このオール・ハロウズ・デイからきています。
ハロウはセイントと同じで、「聖人」という意味になります。
10月31日はこのハロウを祝う日の前夜ということで、「All Hallows’ Eve」(オール・ハロウズ・イブ)、これがハロウィンの名前の由来とされるのです。
ハロウィンは日本でも、毎年若者を中心に多くの人に楽しまれていますが、その背後にある「諸聖人の日」についてはあまり知られていないようです。
この記事では、ハロウィンと隣り合わせに行われる、諸聖人の日についてご紹介します。
諸聖人の日とは?
諸聖人の日は、「キリスト教における聖人」を祝うとてもたいせつな日です。
毎年11月1日におこなわれます。
キリスト教でいうところの聖人とは、信仰を深く持ち、特別な徳を示した人々のことです。
たいていは既に亡くなった人で、死後に教会から聖人としての認定をうけます。
聖人は模範となる生き方をした人たちなので、キリスト教徒にとって大切なのです。
諸聖人の日には、聖人たちの深い信仰と貢献を称えることで、自らの信仰心を再確認する意味があります。
諸聖人とは
聖人とはキリスト教への信仰を深く持ち、特別な徳を示した人々のことですが、教派によって指すところの範囲が異なります。
カトリック教会では、聖人というのは亡くなった後に認定された人たちだけですから、諸聖人の日にはこの方たちを聖人とし、お祝いします。
生きている人は含めません。
東方正教会では、聖人として認められる基準はカトリック教会と似ていて、その認定は亡くなった人に対しておこなわれます。そのため、生きている人を「聖人」として祝うことはこちらもありません。
ですが東方正教会の諸聖人の日では、名も知られていない聖人たちのこともお祝いするので、この点はカトリック教会と異なります。
カトリック教会よりも、範囲が広くなっているのです。
一方プロテスタントでは、とくべつな聖人崇敬をおこなわないことがよくあります。
これは、「キリストを信じるすべての信徒が神に対して等しく聖なる存在である」という考え方があるからです。
プロテスタントにとって諸聖人の日は、現代の(生きている)信徒や自分自身までも含め、「すべてのキリスト教徒を祝う日」という意味合いがあります。
聖人の認定はどうやるの?
全員を聖なる信徒とするプロテスタントに比べると、カトリック教会は聖人を定める範囲が狭く、認定も厳しそうですが、どのように聖人を決めているのでしょうか。
カトリック教会の聖人の認定
カトリック教会で聖人は、正式な手続きを経て決定されます。
この手続きは「Canonization」(カノニゼーション)と呼ばれます。
これはどなたかが亡くなった後、その人の生涯や行いに奇跡的なものあったと思われたときに、行われます。
手続きはつぎのように進みます。
1.その死者が高い徳を示したと認められると、教会の正式な調査が始まります。
2. そしてその人が奇跡を起こしたと認められれば「福者」として認定されます。
福者となれば、特定の地域や信仰団体での崇敬が許可されます。
3. そしてさらなる奇跡が認められた場合、その人物は正式に「聖人」として列聖されます。聖人として認められると、全世界のカトリック教徒による崇敬が許可されます。
認定を受けた聖人
中世から近代にかけては、キリスト教の普及や宣教活動が活発に行われ、多くの聖人が活躍しました。
たとえば、日本でも有名なフランシスコ・ザビエル。
彼はインドや日本を含むアジア地域で宣教活動を行った聖人です。キリスト教を初めて日本に紹介し、その影響力は今も続いています。
スペイン出身のイグナチオ・デ・ロヨラは、カトリック教会の再編と改革で活躍しました。彼はイエズス会を通じて世界中に宣教師を派遣し、キリスト教の普及に大きく貢献した聖人です。
日本にも聖人がいます。
たとえばパウロ三木です。彼は日本のカトリック教会の殉教者です。1597年に他の25名と共に豊臣秀吉の命令で処刑されましたが、勇気ある殉教は後世に大きな影響をあたえました。
このような例はまだ他にもいくつもあります。
すべてキリスト教徒にとって非常に重要な人たちです。
聖人は信仰の為に大きな貢献をし、そして自らの犠牲を恐れなかった人たちで、その生き方は人々の心を動かし、今も大きな影響をあたえているのです。
聖人たち・もう一つの視点
ある出来事や、人物をどのようにとらえるかは人によって違います。
それは聖人に対しても同じです。
聖人はキリスト教徒にとっては偉大でも、べつの視点から見るとまた違う評価になる場合があります。
すこしその点について考えてみましょう。
ジュンペロ・セラはカリフォルニアを含む北米で、キリスト教の信仰を広めたスペインの人です。
かれは先住民にたいして教育や健康管理につとめたので、慈悲深い人とされます。
でも先住民の文化が大きく衰退してしまったので、かれの活動を文化的侵略だとして批判する人もいます。
ルイ9世はフランス王として十字軍を率いました。
この王様は捕虜としての苦難に耐え、貧しい人々に対しても寛大だったので、教会から聖人として認定されています。
でもキリスト教の名のもとで派遣された十字軍ですが、他宗教の信徒であるイスラム教やユダヤ教の人たちに、大きな苦難と犠牲をもたらしたことも否定できません。
このように、視点がちがうと評価も同じではなくなります。
聖人・変わらぬ素晴らしさ
世界の歴史の中では、みんなが関わり合って、ひとりひとりがすこしづつ違う考え方をもって生きてきたのですから、上に挙げたような事はキリスト教に限ったことではありません。
次に聖人の行いの、普遍的なすばらしさが感じられるお話を探しましょう。
聖フランシスコ・アシジのお話
イタリアの修道士で、「フランシスコ会」を設立した人です。
かれは貧困を自ら実践し、あらゆる自然の生き物を愛し、平和を追求しました。
聖フランシスコ・アシジは動物や植物を「兄弟」や「姉妹」と呼び、すべての生物が神によって創造され、尊重されるべき存在だと説いたのです。
十字軍の時代にはスルタンと会い、違う宗教どうしの対話と和解を模索しました。
「異教徒を制圧し、神の為に戦う」ことがただしいと考えられていた当時として、これはじつに驚くべき行動です。
「フランシスコの祈り」という美しい祈りは、そんな彼の平和、愛、謙虚さの精神を象徴しています。
「…私をあなたの平和の道具としてください…」
「…憎しみのあるところに愛を、不和のあるところに和解をもたらす者でありたい…」
この祈りは、いまも世界中で広く引用され、祈られています。
フランシスコ・ザビエルの名前は彼にちなんでいます。
聖テレサ・オブ・リジューのお話
ほんの24歳で若いまま亡くなった、フランス出身のカルメル会修道女です。
聖テレサ・オブ・リジューは、自分がくるしい病気の中にあっても信仰を失わず、それどころかその苦しみを他者のための祈りに変えようと努めました。
彼女は日常生活の小さな行動、たとえば人に親切にしたり謙虚にふるまったりすることが、そのまま神への捧げものなのだと考え、それを実践しました。
多くの人が今もその「小さな愛」の考えに深く共感し、とくべつな役わりや地位がなくても、大きなことができなくても、すべての人々が日常生活の中で神に近づくことができるのだと、励ましを受けています。
マザー・テレサのお話
カトリック教会の修道女です。
「テレサ」は修道女としての名前で、これは聖テレサ・オブ・リジューにちなんでいます。
彼女は教職についていたカルカッタの修道院を出て、自らスラム街に住んで質素に暮らしながら、貧困者のために活動しました。
親のない子どもや路上で死にそうになっている人、病気や貧しさに苦しんでいる人たちに食事や医療を提供しましたし、死を迎える人がいれば、尊厳を持ってその人たちを見送ったのです。
マザー・テレサの奉仕の精神、無条件の愛、そして謙虚な生き方は多くの人々の胸を打ちました。
彼女の生き方は、いちばん弱い立場におかれている人々に心から寄り添うことの大切さを、今なお私たちに教えてくれています。
他にも、挙げればきりがないほど聖人たちの胸をうつお話があります。
各国の諸聖人の日
諸聖人の日は、国ごとの伝統や文化によって様々な祝い方がありますが、どの地域でも共通して家族や友人とのつながりが大切にされています。
次に、世界中ですこしずつ違うお祝いのしかたを見てみましょう。
教会
カトリック教会では、諸聖人の日に特別なミサが行われます。教会はこの日、特別な飾りや音楽でおごそかな雰囲気になります。
人びとは白や黒などの比較的フォーマルな服装をしてミサに参加します。
家族や友人のための祈りが行われ、彼らの魂の安らぎを願います。
ろうそくを灯したりもします。これは、亡くなった人々が光の中で安らかに過ごすことを象徴しています。
お墓参り
諸聖人の日には多くの人が墓地へ行きます。
墓地は亡くなった家族や友人へ祈りを捧げる人々でにぎわい、菊などの花、キャンドル、ランタンなどで美しく飾られます。
食事、いろいろな風習
国や地域によっては、諸聖人の日に特別な食べ物を用意する習慣があります。
たとえば、スペインでは風船のように膨らんだドーナツや、「聖人の骨」と呼ばれるアーモンドのペーストで作られたお菓子があります。これは、亡くなった人々を偲ぶための甘い食べ物です。
ラテンアメリカでは、死者を敬うために家庭や墓地に設置される祭壇(オファレンダ)があります。これは、ラテンアメリカの先住民文化にあった死後の世界への強い信仰と、カトリックの教えが合わさってかたちになったものです。
祭壇には故人の写真、好きだったもの、マリーゴールドの花、死者のパンなどを供えるほか、お香を焚いたりキャンドルや切り絵で飾ったりします。
メキシコでは骸骨の仮装をしたりもします。
フィリピンでは、諸聖人の日とその翌日「諸霊の日」には家族が集まり、墓地でピクニックをします。食事を共にしながら、亡くなった家族と一緒に過ごしているかのように振る舞います。
諸聖人の日・まとめ
諸聖人の日は、キリスト教徒にとって信仰の大切さを再確認する日であり、他者のために尽力した人々(聖人)を称える日です。
でも視点をかえてみると、信仰の名のもとに行われた行動が、すべて正しいものとして評価されるわけではありませんでした。
また、場所が違えばお祝いの仕方にもいろいろな差がありました。
人間の目がいっぺんにみれるのは、自分のほうに向いた一面だけです。
たとえば太陽は上にあると思っても、日本の人とブラジルの人では丸い地球で上下反対に立っているのですから、お互いに上だと指さす方向は正反対になるかもしれません。
そう思うと、私たちはいつもいろいろな角度から見てみたり、考えてみたり、互いの話を聞こうとすることが、とても大事なのだといえます。
「ハロウィン」の名前の由来とされるオール・ハロウズ・デイ(諸聖人の日)
怖いお化けに扮する夜が明けると、打って変わって清らかな聖人たちを祝う朝が来るなんて、とても不思議なタイミングです。
「世界をいろいろな角度でみてごらん」
ふたつのお祭りをピッタリくっつけて並べ、誰かが私たちにそう語りかけているのかもしれません。
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